名もなき日々の備忘

日常の中で感じたこと、書評、資格、趣味、ぼやき等

これまでとこれから

はじめにタイトルを考えてみたが、肝心の本文が思いつかない。何を書けばいいのだろう?

25歳になったのが先々月(10月)、5年付き合った彼女と別れたのが誕生日から1ヶ月後の先月(11月)である。

まあしかし、短いわけでもないが決して長いとは言えないこの四半世紀を一度振り返り、そしてこれからのことについて考えてみるにはいい機会だろう。

 

25年間生きていて感じずにはいられないことがある。

自分は人生における自己決定感と言うか、自分の人生に対する当事者意識のようなものが、精神的に成熟した同年代より低い、あるいは欠如しているのではないかということだ。

一言でいうと、自己肯定感が低いのである。どうしてこうなったのかはっきりとは分からないが。

そして、その自己肯定感の低ささえも周囲に悟られないように隠してきた結果、自分の本心そのもの、自分はどうしたいかという意思そのものを蔑ろにしてきたことに長らく気づくことができなかったように思う。

 

その傾向は殊恋愛において顕著に現れる。

好きになってくれた人を好きにになり、執着してしまう傾向だ。そこに自分の自由意思らしきものはないのである。

また、努力が成就せずにとっくに楽しくも無くなっていた競技を7年以上義務感で続けたことも、今思えばそうなのかもしれない。

 

まだ半分くらいしか大人になった気がしていない自分がブログを描き始めようと思ったことには、何か大きなきっかけがあったわけではない。

自分が感じたことや思ったことを、節目節目で時折り振り返ってみたいと思っただけだ。

ただ、写真が一瞬を切り取ったものであるのと同じように、自分の思考・感情をその時の感度で文章化することには少なからず意味があるのではないかと思う。

 

頭で分かっていても行動に繋げられるかは別問題だが、これから自分は、自分の確かな意思で今後の人生において幾度となく訪れるであろう選択肢に対して答えを出したい。人生は選択の連続であり、その選択に対して自ら責任を負いたいと切に思う。他に誰も責任をとってくれる人などいないのだから。

 

このブログの内容は、取り止めのないぼやきから学びの発信など、脈絡のない雑多ものになると思う。私自身書くという行為を通じて何か得られるのではとただ漠然と思っている。

拙い駄文でもお付き合い頂ければ幸いだ。

 

 

2023.12/29(金)

於 仕事納め帰りの電車